反天連キャンドルデモで発言した、中核派のジャーナリスト、安田浩一の演説 2008.8.25 [在日朝鮮人問題]

 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動      かけはし2008.8.25号


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アジアの戦争被害者への謝罪と補償を

韓国・台湾・沖縄・日本民衆の共同で靖国・天皇制との闘いへ


戦争動員装置
としての靖国

 八月十日、日本教育会館で「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドルウォーク~ヤスクニ・戦争・貧困~」が「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」によって開催された。第一部、ヤスクニをめぐるトーク。第二部、合祀取り下げを求める証言。第三部、平和コンサート。コンサート終了後、靖国神社に向けてキャンドルウォークを右翼の妨害をはねのけて行った。行動に七百五十人が参加した。
 二〇〇六年八月十五日に小泉首相が靖国神社を参拝するのに抗議して、強制的に合祀された台湾・韓国・沖縄・日本の遺族たちを中心に抗議行動が組まれた。二〇〇七年にはニューヨークでの反ヤスクニ行動が取り組まれた。そして、格差・貧困が広がる中で、イラクやアフガニスタン戦争が繰り広げられる。日本が憲法を改悪し、戦争のできる国家へと変わることは再び戦死者を「英霊」とたたえる靖国神社の役割が重要性を帯びることになる。そうさせないために、今年もヤスクニノー、戦争ノーの行動が取り組まれた。

歴史の改ざんと
居直りを許すな

 最初に、今村嗣夫さん(実行委員会共同代表)が「現在の福田首相の父親の赳夫が首相だった一九七八年に有事法制の検討と共に靖国参拝を行った。この年、戦犯が合祀された。今年、靖国問題は大きな問題となっていないが、国民を精神的に束ねようとすること、それに同調的な精神は根付いている。そんな風潮にブレーキをかけ、平和的な発展のために行動を起こした」と開会のあいさつを行った。
 第一部トークは高橋哲哉さん(東京大学教員/戦後責任論)、韓明淑(ハン・ミュンスク、韓国・元総理)さん、中島岳志さん(北海道大学教員/近代政治思想史)、安田浩一さん(ジャーナリスト)がパネラーとして参加して問題提起を行った。

 テーマは
①靖国が内包する問題
②若い貧困層がナショナリズムに引きつけられることについて、であった。

 ハン韓国元首相。「福田首相はアジア外交の重視、靖国に参拝しないと表明している。これは良いことだ。しかし、本質は首相が参拝するかどうかではない。日本の天皇のために命を奉げた兵士たちが靖国に祀られている。A級戦犯の合祀がなくなっても戦争責任はまぬがれない。『従軍』慰安婦、過去史の問題を解決しなければならない。靖国神社は戦争神社だ。遊就館に行ってショックを受けた。一九四五年、朝鮮の植民地からの独立がなく、一九四八年大韓民国の成立となっていた。宗教の名を借りて歴史を改ざんしている。日本の愚かさを感じた」。
 「どこの国にも正義の歴史もあれば虐殺の歴史もある。尊敬を受けて信頼される国になるためには、過去を克服していく意志と実践にかかっている。韓国の過去史の問題について、真相究明の取り組みを行ってきた。ドイツはユダヤ人大量虐殺を反省し補償を行っている。戦犯のゲーリングの墓がナチの聖地とならないように遺体を火葬にして捨てた。恥辱の歴史を若者に教育している。日本は正反対だ。口先だけの謝罪で、戦争と植民地主義の復活を行っている。一九四九年以来禁止してきた公立学校の靖国訪問を許した。『従軍』慰安婦問題を教科書から削除した」。

 「靖国神社は侵略戦争の道具になった恥辱の神社だ。侵略戦争に狩り出し殺した韓国人を二万二千人、台湾人を二万八千人合祀している。韓国人の魂が祀られていることに胸が痛む。『従軍』慰安婦問題に国際的な関心が広がり、世界の議会で決議があがっている。日本や韓国で資料館が作られた。合祀に反対し遺族たちが裁判に立ち上がっている。日本の国会で、立法化運動が行っている。どのように解決するのか。①日本政府の決断が必要だ②歴史の真実が明らかになるように努力していくことだ」。

A級戦犯だけの
問題ではない!

 中島さん。「極東軍事法廷のインド出身のパール判事はA級戦犯の無罪を主張した。右派はそれを戦争肯定論として使ってきた。靖国神社にパール判事の碑が最近建てられた。二〇〇二年遊就館の展示が変わった。まがり角にある。追悼と顕彰は違いがある。戦死者を顕彰することは戦争が正しかったということであり、首相の公式参拝、そして天皇の参拝も求めることにつながる。歴史観に公的な正当性を与えることになるから公式参拝すべきではない」。

 「二〇〇六年小泉参拝の前、世論調査で反対が過半数を上回っていたが、参拝するとひっくりかえった。しかし、次の首相に行って欲しいかといえば、反対が過半数を超えていた。小泉熱に乗っただけだが、これが非常に危険だ。議論が成り立たないからだ。世論が試されている」。

-----------安田浩一の演説---------------

 安田さん。「ジャーナリストとして、靖国の風景を取材してきた。英霊の視点は内向きのものであったが、北朝鮮が拉致を認めた二〇〇二年に変わった。あっけらかんとして靖国に二十五万人が集まった。若者があふれかえった。祝祭となり真夏の祭典となった。ヤスクニブームを右翼としても歓迎していない。参拝が増えても右翼の構成員は増えないからだ。出会い系のサイトで『ヤスクニで会おう』と呼びかけられる。『戦争の道具として靖国が機能している』ことをどう発信するかが問われている」。

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 高橋さん。「ヤスクニ問題をA級戦犯だけに注目すると取り逃がす。A級戦犯は一九七八年に合祀された。その後中曽根首相が靖国参拝し、中国から抗議された。A級戦犯をはずそうとしたが靖国神社が拒否した。A級戦犯が問われたのは一九二八年の張作霖以後だ。これ以前にも靖国には戦死者が祀られた。A級戦犯だけが悪いとされると天皇の戦争責任が消えてしまう。A級戦犯を靖国からはずせば、天皇参拝までいく。戦争で死ねば靖国に祀るというとんでもないことになるだろう。麻生自民党幹事長は靖国を国の管理のもとに置く案を出しているが認めるわけにはいかない」。

若者の貧困と
ナショナリズム
-----------安田浩一の演説---------------
 次に貧困・若者・ナショナリズムのテーマに移った。
 安田さん。「私は『革命は希望だ』と言いたいが右の言論は勢いがある。攻撃対象が中国、韓国、朝日新聞、TBS、女性など具体的だ。これに比べて左は平和・民主主義のように抽象的で保守する言論だ。社会の公共サービスから排除された非正規労働者はやりばのない怒りを持っている。どこに向けていいのか見えない。インターネット掲示板で発散する。自分探しの旅はナショナリズムにしかいかない。外国人労働者は仕事を奪う存在でしかない。追い出したいという考えは説得力、リアリズムを持ち魅力的に思ってしまう。ナショナリズムが近隣の国からどう見られているか考えない。この問題は雇用の問題に行き着く。右と左の取り合いになっている。ファシズムは雇用不安が背景にあった」。

-----------安田浩一の演説 終わり---------------

 中島さん。「希望は戦争と書いた赤木さんと対談したことがある。彼は戦争になってほしいと思っていない。劇薬として言っている。彼は現在三十三歳だが、一九九四年に大学に入った。完全に不景気だった。大量のフリーターが生まれた。親の死に目が自分の死に目という親なしでは生きていけいない状態に追いやられた。コンビニでバイトをしている。年金がかけられない、結婚ができない。人的に不良債権化していく。自殺してくれと思われている。そこで、国家に承認されて戦争に行き、靖国に祀られたい。国家に承認されたいということが最大の問題だ。秋葉原事件に近い問題だ。雇用と不安が広がっている」。

 「フランス革命は平等な国民としての主権だという国民国家をつくった。国家は国民のものだ。平等と主権というナショナリズム。小泉改革はナショナリズムを使い、困っている若者に支持された。架空の平等性が与えられネイションとなり、反中国・反北朝鮮が煽られた。雇用問題が少し解決してもこの問題は解決しない。存在的不安と承認を求める意識に向き合わなければならない。ナショナリズムではなく受けとめる社会が必要だ」。

 高橋さん。「抽象的な平和ではなく、アメリカ帝国主義が見えているところが沖縄だ。自分たちの平和からこぼれ落ちているところがあることを自覚すべきだ」。
 ハン元首相。「韓国でも日本でおこっているような新自由主義、競争社会、貧富の差、格差が広がっている。貧困がナショナリズムとつながることに注意する必要があり、防いでいかなければならない。民族主義の問題は日本と韓国では違う。日本の植民地支配に抵抗する国を救う民族主義があった。南北統一の民族運動もある。米国産BSE輸入問題で、主権を守るためにキャンドルで立ち上がった。ナショナリズムではなく、個人の権利、人権、市民参加が大事で日本の運動と交流していきたい」。
 以上のように二つのテーマをめぐって問題提起があり、最後に高橋さんは「大正時代に白鳥省吾という民衆詩人がいて、靖国を『殺戮の殿堂』と歌った。敵を殺し殺された。戦争で血に塗られた。靖国は聖なる場所に変えられている。取り込まれないように監視していく必要がある」と語った。

合祀の取り下げ
を実現しよう

 第二部合祀取り下げを求める証言が行われた。
 吉田哲四郎さん。神奈川平和遺族会副代表。民間会社の貨物船の機関長をしていた父・瀧蔵さんはアジア太平洋戦争勃発と同時に陸軍の輸送船として船とともに徴用され、一九四三年八月に、軍需物資の輸送中爆撃を受け、ビルマ沖で船が沈没、死亡した。当時四十七歳。靖国神社合祀は一九五七年四月二十一日。
 「アジア侵略に加担した。母親と八人の子どもが残された。母は靖国に参拝したいと言ったことはない。六〇年代に戦没者叙勲があったが返上した。戦死場所が南シナ海という公報と違っていたが調べてみると靖国神社が合祀記録の中で記しているほうが正しかった。国が関与して靖国に合祀したのだろう。強い憤りをもっている」。
 金城実さん。彫刻家、沖縄県・靖国合祀取消訴訟(がっていんならん訴訟)原告。父・盛松さんは、皇民化教育のもと日本軍のために、良き日本人として従軍、激戦地ブーゲンビル、タロキナ方面で戦死。靖国神社に合祀されている。

 金城さんは、「父は十八歳で結婚し、十九歳で熊本連隊に入りその後戦死した。沖縄はかわいそう、たいへんだったと言われるが、沖縄にも責任はなかったのか。私の名前の実は守備隊隊長の名前からとったものだ。一八七九年に廃藩置県があり、八〇年に小学校が作られた。沖縄の方言をつぶすために離島から小学校を作っていった。標準語を使わないと恥ずかしい所で生まれたと首からぶら下げられた。くしゃみの仕方まで標準語でやれと強制された。集団自決死がなぜ起こったのか。天皇制の目に見えない生理に食い込んだものがそこにはあったのだろう」と語った。
 台湾原住民「高砂義勇隊」戦死者の「合祀」取り下げを求めて大阪地裁に提訴し、小泉首相の靖国参拝「違憲」の判決を勝ちとったチワス・アリ(高金素梅)さんが映像出演して訴えた。
 次に、李煕子さん。太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表を務めるとともに、在韓軍人軍属裁判、ノー!ハプサ(NO!合祀)訴訟原告として被害者・遺族の先頭に立つ。父・イ・サンヒョンさんは一九四四年軍属として強制動員され、一九四五年六月十一日に中華人民共和国広西省全県の野戦病院で死亡した。ドキュメンタリー映画「あんにょん・サヨナラ」の主人公。
 「二十年間何も消息が分からなかった。どこでどうやって死んだのか調べたら、靖国合祀を知った。家族に無断で合祀した。理解しないし、したくもない。なぜ、合祀を通知しなかったのか。一九五九年に合祀されたが、取り消しの訴訟をしている。靖国神社に取り下げを要求しに行ったら、汚い、朝鮮人は出ていけといわれた。いまだに閉じ込められていて、解放を迎えられないのが本当に悲しい。死者がしゃべれないことを利用して、何かに利用することが許せない。合祀が取り下げられるまでがんばりたい」。

元気いっぱいの
キャンドル行進

 証言の後、第三部の平和コンサートが行われた。最初に、韓国サンミョン大学の学生、韓国「大学希望」のパフォーマンスと歌が披露された。韓国386世代の代表的歌手でBSE反対百万人キャンドルでも歌ったソン・ビョンフィ、同じく韓国386世代の代表的歌手のアン・チファンさん。彼は残念ながら映像での参加だったが、キャンドルの実写があり運動の迫力がよく分かった。その代わりに韓国の有名な映画俳優のグォン・ヘヒョさんが参加した。日本人の寿も歌を披露した。最後に参加歌手が壇上に並び、会場と一体となり「イムジン河、一緒に歩かなくても」を歌った。
 李硯兌さん(実行委員会共同代表)が「ソウルのキャンドルも最初は少数だったが広がった。アーティストたちによるアートで表現する展示も行われ、ヤスクニ問題をより深く広く知らせることができた。ヤスクニの闇がアジアに投げかけているものは何か。平和の世の中をつくっていかなければならない」と閉会のあいさつを行った。
 集会後、日本教育会館から靖国神社に向けたキャンドルウォークが右翼の妨害をはねのけて、元気よく行われた。    

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